希望格差社会と将来の夢
内田先生のことはブログで知ったのだが、その軽妙な筆致と深い洞察に惹かれて愛読している。最近の一連のエントリーも非常に興味深かったのでご紹介します。
立場によって色んな反応が予想されるけど、私自身は「将来への夢」というものが持つ二面性について考えさせられた。1つには明らかに、持続的な成長をドライブしていくためのエネルギー源としての役割であり、世に喧伝されている正の効果である。それについては異論はないし、人生に必要不可欠なものであるとも思う。一方で内田先生が指摘されるような別の側面というのはあまり語られない:
この「過大な期待を諦めさせる」ということは子どもを社会化するためにたいへん重要なプロセスであると私も思う。
これまで学校教育はこの「自己の潜在能力を過大評価する『夢見る』子どもの自己評価をゆっくり下方修正させる」ことをだいたい十数年かけてやってきた。
中学高校大学の入試と就職試験による選別をつうじて、子どもたちは「まあ、自分の社会的評価値はこんなとこか…」といういささか切ない自己評価を受け容れるだけの心理的素地をゆっくり時間をかけて形成することができた。
しかし、「オレ様化」した子どもたちは、教師が示唆する自己評価の「下方修正」をなかなか受け付けない。
彼らは過大な自己評価を抱いたまま、無給やそれに近い待遇で(場合によっては自分の方から「月謝」を支払ってまで)「クリエイティヴな業界」に入ってしまう。
現場で教育に携わる方々にとっては無視できない指摘であろうと思う。
折りしもこの難しい時代に教育業界へ飛び込んでいく身内がいる。
お祝い代わりにこのエントリーを送ろう。
March 27th, 2005 at 11:27 pm
この内田先生のことをちょっと調べたけど、構造主義のことを書いてるね。この話も構造主義的な感じがする。まぁ、構造主義もちゃんと理解してないんだけどね。
これと同じことをうちの教授が言ってたよ。
「学校教育はその過程において自己の分をわきまえさせる構造を有している。それによって、階級の序列化がされる。」
みたいな事を。
でもね、マジック・ジョンソンは
「まずは夢を見なさい。こうなりたい、ああなりたい、と夢見ることが大切だ」
って言ってた。寝るときに見る夢じゃないからね。これを、日本に来たときに、バスケの日本代表メンバーに向かって言ってた。
要は兄ちゃんが言うとおり、「将来の夢」に限らず、物事には二面性があって、それを構造的にとらえた上で行動すべきだと思うね。
だが、それをふまえた上で、やっぱりマジック・ジョンソンみたいなことを言い放ちたい。
夢に向かって、がむしゃらに突き進むっていう経験はお金では買えない訳で、それにいくらつぎ込もうと、誰かがもうけようと、その経験はプライスレス(笑)
なんてね。
教育ってのは突き詰めれば「どう生きるか」っていうことなんだと思う。
どうせ生きるなら、情熱的に生きたいね。
パッション命(笑)って友達が言ってた。
March 29th, 2005 at 1:10 am
ふむ。
自分の生きているシステムの構造を認識することと、その中でどう振る舞うかということは別の問題だからね。それは「信念」の問題だと言ってもいいか。
まあどんな先生になるのか楽しみだよ。
March 31st, 2006 at 2:30 pm
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/846.htm